東京モーターショー

今年は、東京モーターショーの年。
今年で40周年だそうですが・・・う〜ん感慨深い。


私は昭和30年代前半の生まれですが、昭和40年代の初め頃=小学校低学年の
頃は世の中みな貧乏で、別にみんなそうだったので、”貧乏感”は特になかったん
ですがね。

やはりアメリカのTV(奥様は魔女)なんかを見て、アメリカってのはスゴイなあ・・と。

あんなデカイ冷蔵庫に自動車にカラーTVにと、いつかはあんな生活したいものだと
半ば無理だろうな、とは思いながら憧れてましたっけ。
(焼け跡派?)   


私の場合は、その中でも”自動車”ってものに相当の興味を持ってしまい、
以来、中学生のくせに本屋行って、オヤジのようにカー雑誌買ってました。
”ドライバー”って本で、2週間に一度発行されるのが楽しみでしょうがなかった。

厚さ1cmほどの雑誌でしたが、まあ隅から隅まで何回も読んでましたね。
「オマエ、その半分くらいでも勉強せー」って親父に嫌味言われても、

そんなの関係ネー。


おかげで、国産の自動車の名前は全部覚えていたし、車名は英語で書いてあった
のでそのおかげで結構単語も覚えた。



そんな自動車少年の憧れ・・それが東京モーターショー!

だって田舎に住んでて、東京にはじめて行ったのが中学3年の修学旅行。
実は、それから今度は19才になるまで東京の地に脚を踏み入れることはなかった
なんて、

全く田舎者にもホドがありますわな。


そして19才で関東に住み始めてからは、何回も興奮して見に行きましたね。
その頃はまだ晴海開催でしたが、世の中で初めてターボチャージャー付のエンジン
が登場した時は本当に興奮しました。

君はターボ派か、DOHC派か?なんていうバカな論争も面白かった。


何せクーラーもまだそれほど普及していないので、装着しているクルマは「冷房車」
ってステッカーを自慢気に貼ってあったりして(爆笑)


ありゃあ、何のために貼ってあったんだろう?


とにかく、これからやるべきことが沢山あって、実に夢のある時代だったと思います。

・・・

その頃から30年以上経って、何が一番変わったかと言うとそれは環境対策と
安全対策でしょうか。

特に安全対策の進化ぶりには驚くばかりで、

アンチロック・ブレーキ、エアバッグ、アンチスキッド・・etc

センサー技術、コンピュータの処理速度が何十倍にもなったおかげで、
目にも止まらぬ速さでポンピング・ブレーキ踏んでくれるわ、

衝突して胸をハンドルに強打する前に風船膨らませてくれるわ、

横スベリ始めたことを察知して、どこか一輪だけ自動でブレーキかけて姿勢を
立て直してくれるわと、


30年前には夢物語だったことが、今はもうなくてはならない現実。



そう考えると、あと30年経ったら太陽電池だって日本中の屋根を埋め尽くして、
日光のあたるところは全て埋め尽くされているかもしれませんね。



・・・ その時私は80才!?  ああやめてくれ ・・・






4 Comments

  1. T5

    ひょっとして先輩は430世代ですか?
    あの頃の車は個性があってよかったですね〜。
    高級車は高級車らしく、ファミリーカーはファミリーカーらしく、スポーツカーはスポーツカーらしくジャンルがわかれてて・・・・
    いつの間にか、ファミリーカーが大きくなって充実装備が備わって、スポーツカー並の運動性能をもって、個性がなくなっちゃいましたね。

    でも、そうなって初めて爆発的な普及が進むんでしょうね。

    太陽光発電も各メーカーの個性(特性)がなくなって初めて爆発的な普及になるんでしょうね。

    そのとき先輩は80歳。T5は60歳代。

    ゲートボールでもしながら太陽光発電に埋め尽くされた町をバックに孫の自慢話でもしましょう。。

  2. NS

    >そのとき先輩は80歳。T5は60歳代。

    ちょっと聞き捨てならんね(笑)
    モノは言いよう、ひどい四捨五入だ。

    ついでに介護もお願いします。

  3. 元気ですか〜

    本日はお電話で失礼いたしました。
    機会があれば是非ご一緒したいです。
    こらからもよろしくお願いします!!

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