平等主義は何だった?

防衛省の色々や、社会保険庁のドタバタが賑やかな毎日だけど、
ひとこと言いたい教育問題(うるさいオヤジの権化みたいだな)


あれだけ続いた”ゆとり教育”が間違ってました、って今更否定されても、
その間に教育を受けた世代(うちの息子たち)は一体全体どーしてくれるんだ、
って言いたくなるんだなぁ。

また、私が理解出来ないもう一つ、へんな「平等主義」。

運動会のかけっこに順番つけるな、とか成績表に優劣つけるな、とか
「子供の能力に上も下もない」みたいな理由だったと思うけど、

そんな事を声高に言ってたのは、今はどうなったんだろ。


私はどうもこれがわからなくて、まさか世の中を、我々のやる素人ゴルフの
ハンディキャップ制みたいにして楽しもう、ってことでもあるまいし・・


ゴルフのハンディキャップ(特に新ペリア式)というのは実にわけのわからない
仕組みで(笑)、ハンデを事前に申告したりせず普通にラウンドして、
予め設定しておいた隠しホールでのスコアを元にその人の”実力”を計算する
わけです。


それで計算した”ハンディキャップ”を、実際のスコアから引いて優劣を競うという
わけですから、スコアの良い人が優勝するとは限らず、隠しホールでうまい具合に
大叩きして、そうでないホールでスコアをまとめて行けば、
誰にでも優勝のチャンスがあるわけです。

ある程度年をとって、これ以上実力では勝負できなくなってくると、このハンデと
言うやつは有難いし、実に面白い。



しかし、こんな年寄り救済の苦肉の策みたいな事を、
これからの努力次第でどれだけ伸びるかわからない子供に教えてはいかん
のではなかろうか。


学校の役割の中に、世の中の仕組みを教えるという事があるなら(あると思うけど)
現実は厳しくて、どんどん差をつけて分かりやすくするもんだ、という事も
教えなくてはいけないと思うけど。


カーレースでは、予選でタイムの速い順に、決勝は一番前からスタートするんだし、
マラソンのスタートで100m並んでたってタイムの速い人順に前から。

プロのゴルフは、前年の成績の良かった人たちは無条件で試合に出られるけど、
成績の良くなかった人は予選会から出なくちゃいけない。


野球のプレーオフだって、シーズン優勝チームは試合数も対戦相手も有利に
なるルール。

F1のシューマッハは、速いからってハンデつけて最後尾から出走ではないし、
ゴルフのタイガー・ウッズは、うまいからって2ホール余計に回らないといけない
わけじゃない。


そう、現実の世の中では強い者はもっともっと有利になって行き、
弱い者はどんどん厳しい戦いでふるい落とされていくルールなんだわ。


「かけっこ」で順位つけないで、何か良いことあったんだろうか?


・・・


日頃”ハンデ”がたくさんついても勝てない不満をぶつけてみました。






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